2015年9月26日 (土)

明治42年 ケッラアマンが観た宮津

ケッラアマンの「日本印象記」

今から100年以上前の明治42年(1909)、宮津を訪れたドイツ人の青年がありました。旅行家でのちに従軍記者、ベストセラー作家になったベルンハルト・ケッラアマンです(ケラーマンと表記されることもあります)。シベリア鉄道に乗って日本に来た彼は、東京、横浜、京都、宮島、大阪等を訪ね「日本印象記」を記しました。

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この旅でどこが気に入ったか――それは丹後の宮津である、というのです。

「日本印象記」から宮津の項の一部をご紹介します。

当時の宮津の町が活き活きと描写されています。(旧字は当用漢字に、また現代仮名づかいに改めました。タイトルは筆者)

 

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醇朴

日本に滞在中、この町が一番面白かった。この町の話をするのは、友人の事を話すように嬉しい。町は古い。町の人々は、昔ながらの醇朴な人達である。僕らヨーロッパ人を見ると、上から下まで、つくづくと眺め、着物や靴に触ってみる。雨が降り出すと、どこでもその辺の家から、誰か走り出て、大きな紙の傘を持って、差し掛けてくれる。海水浴を終えて上がって来ると、磯に漁師がいれば、必ず、漁師は自分の草履を脱いで、僕らの前に揃えてくれる。

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小路の発見
 

 町は灰色をしている。(略)。通りは曲がりくねって、しかも狭い。この町はごく小さな町のように見えるけれど、ぶらぶら歩いて見るたびに、いつも大小の小路を新しく発見する。僕は数週間この町で暮らした後にも、幾つも新しい通りを見出した。

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町の人々

 静かな通りでは、その辺の連中は毎日のらくらしているが、商売屋の通りは朝から晩まで、皆一生懸命働いている。切ったり、刻んだり、糊付けしたり、捏ねたり、一日中働いている。菓子の職人は、捏ねた粉を熱した焼板の上に流し、縦横に切り、型に入れ、焼いて、やがて出来上がった茶色のサイコロ形の菓子を、うんと積み上げる。

 僕が町を歩くと、必ず大勢の連中がじろじろ眺めたり、話しかけたりする。子供が後ろからついてくる。後を振り向くと、皆逃げる。恐がって逃げ出し、転ぶ子もあるし、泣く子もある。この小さい町には子供が実に多い。(略)犬は吠えて、僕の靴を不思議そうに見守っているが、やがて飛び掛かってくる。僕はいろんな人に出会う。女中や、洗濯屋や、小さな踊り子である。僕は決して退屈しなかった。

亀と酒

この町の漁師が、たまたま亀を網で捕まえると、これに酒を飲ませ、哀れみを乞う亀は、やがてまた海に放される。

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巡礼 

巡礼が大勢町を行く。お社やお寺へお参りに行くのである。昔の神々は今も尚この町では、好い目をみているわけだ。

町の美しさ 

 だんだん町の様子がわかってくると、その度に一々驚いた。皆素晴らしく美しいからである。小さい庭、風呂屋、小さな橋、門、井戸、子供の仏様たる地蔵という古い像が立っている小さな御堂、眼を閉じて蓮華の上に座って、日向ぼっこの居眠りをしているような大きな青銅の仏像、墓場、寺院、神社である。

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 出典:『トンネル』新潮社 第2期世界文学全集(12) 昭和5年刊
     翻訳者 秦 豊吉

※ケッラアマン著『トンネル』は、資本主義に批判的な未来小説 (1923年)でベストセラーとなりました。手塚治虫が1977年に発表した「忘れられない本」と題したエッセイの中で、この本から受けた影響について熱心に語っていたそうです。

※『トンネル』について、宮津市立図書館で詳しく教えていただきました。
 ありがとうございました。

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